カテゴリ:Memories(Sweet?)( 25 )
続・東京物語
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何も好き好んであんなボロアパートを選んだわけじゃないですよ。何せ東京は松阪から遠い。
探す時間に余裕のない状況で、会社に近いことと現在の家賃並を条件に選んだ結果なんです。
つまり、それまで住んでいた三重松阪では、全室六畳振り分けの日当り最高な新築2DKで
庭には駐車場、裏庭には物置があり、追い焚きできる広い風呂、システムキッチン付き。
こんな物件が27,000円だったんです。それが東京の物価ではこんなボロ。唖然としました。
これが東京で最初のカルチャーショック。まだ住んでもいないのに……。

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こういう安アパートは、地主さんが自分の土地に数棟建てる場合が多いんです。
例えば鈴木 一朗さんのものだったら、第二鈴一荘とか第三イチロー荘とかになるのかな。
ほとんどは昭和30年代の高度成長期に建てられた、そんな古いアパートが今では
処置に困っているらしいですね。でも気の毒だけど、僕には自業自得だとも思える。
いい思いもしたんだから。当時は今と賃貸のシステムも、それに関連する常識も違っていて
今ではありえないけど、当時の大家は「住まわせてやる」という意識が強かったようですね。

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これは良い意味でとらえると、戦後から現在の(当時のですよ)人口が増え
不足する東京の住宅事情を自分たちが支えてきたという自負があったんでしょうね。
江戸時代の、長屋の差配人さんのようなつもりだったのかもしれません。
でも「何か勘違いしてんじゃねーか。あんた何様?」という人もいるのはよく聞いた話で
僕のアパートの大家も、上から目線の超おせっかいババアだったんです。

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僕が4年と “ちょっと” で件のアパートを出たのは、実は大家とケンカしたからなんですね。
直接理由は忘れたんですが、2回目の更新直後。溜まりに溜まっていたこともあったんです。
ここは住所と寝る場所の確保と割り切っていて、普段はほとんど部屋にはいないんですが
この人は僕の留守中に部屋に入っているし、会う度に嫌みたらしく僕の行動に注文をつける。

人(特に地方出身者)を見下す。おせっかい。こういうのも一種の江戸っ子気質らしいですが
そこに人情が伴わなかったら、それは東京だけでなくどこの国でも嫌われる行為です。
それに僕は何も知らない学生でもないし、前の職場では人を動かしていた立場。
たまたま亡夫が土地を持っていただけというおばさんに、頭ごなしに指図される覚えはない。

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都会の中でも特に古い趣がある部分を、好んで写真を撮られる方は多いですよね。
僕も廃屋や昭和の雰囲気がする場所は嫌いではないんですが
その後5回住居を替えた(ちなみにそれ以前は6回)今でも、似たような場所に行くと
時々こんなことがフラッシュバックしてきて、イヤ〜な気分になる時があるんですね。
もう二度とこんな所には住まねーぞバカヤロ、というような(笑)。

前半ではわかりませんよね。これはノスタルジーに浸っているという話じゃない(笑)。
『東京物語』は、いつの時代もほろ苦いものなのです。
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by yattokamedagaya | 2009-11-23 20:52 | Memories(Sweet?) | Trackback | Comments(6)
東京物語
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そのままの写真では関係各位に迷惑かな? ということでセピアの世界にしましたが
これは僕が東京に出てきて初めて住んだアパートの周辺。現在のものですよ。
もっとも、30年前もほとんど同じだったんですけどね。
ご存知のように東京という街は広く、ところ変われば景観は全く違います。
そしてどこも同じように新しくなるのではなく、変わらない街もあるんです。

件のアパートも同様で、僕が住んでいた当時でも老朽化してボロボロだったのに
2年前、たまたま近くを通ったら、まだ人が住んでいるのに驚いたものです。
そんなアパートも、さすがにその時が限界だったらしく、とうとう廃屋になりました。
そこで先日、取り壊される前にちょっと中を覗かせてもらったんですよ。
修行時代に4年とちょっと住んだ場所。懐かしく……はないんですよね、なぜか。
汚い所ですが、よかったら皆さんもどうですか。存分にご覧ください。

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と言われても、そんなもの見たくないですよね。このワンカットだけにしておきましょう。

このアパートは今では珍しい、玄関で靴を脱いで廊下から各部屋に入る下宿タイプ。
木造モルタル二階建てで、屋根は瓦葺き。部屋は全て和室で六畳一間流し付き。トイレ共同。
僕の部屋は二階の突き当たりだから、このアパートでは一番いい部屋なんだけど、
角部屋の両窓の外は間近に別アパートの壁があり、窓なんてないような薄暗さなんです。
なのに交通の便だけはいいから、これで家賃は約3万円。名古屋なら1万円もしないのに。

これはそんな二階の部屋を出て、階段を下りて玄関に向かうという
何のことはないんだけど今でも強く心に残っている、僕の目線で見た毎朝の風景です。
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by yattokamedagaya | 2009-11-20 18:39 | Memories(Sweet?) | Trackback | Comments(12)
♪オリンピックピック
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このタイトルで何人が反応してくれるだろうか?

先頃IOC評価委員会が視察した施設の建設予定地は、私のジム通いコースにあるので
近くをバイクでよく走るのだが、例のCGゴーグルがなければまだ何もないただの空き地。
こんな置き去りにされたコンテナのようなものが、置いてあるだけなのだ。
だが名古屋と大阪の轍は踏むまいと、無理矢理盛り上げるプロパガンダを感じる昨今、
私はしばらく忘れていた、永年の疑問を思い出してしまったのである。……私を助けて。

それはこんなこと >>
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by yattokamedagaya | 2009-04-23 19:29 | Memories(Sweet?) | Trackback | Comments(25)
チェリオは青春の味じゃん
b0066893_17281362.jpg醤油の味じゃないよ(笑)。最近やたら目につくこれ、
新発売『チェリオ なんちゃってオレンジ』を飲んでみた。
近頃果汁10%飲料を飲んでないけど、オレンジ味なのか……。
でも僕にとっては、これはふざけたものを作りやがって
というよりも、チェリオブランド飲料ってまだあったの?
というのが正直な感想、変?

書いたことあったかな。僕はど田舎出身なので、希望の高校には
受かったけれど通学できなかったんです。……遠すぎて(恥)。
そこで高校の3年間だけ下宿することになった。
その下宿屋の側の駄菓子屋で、部活帰りにいつも飲んでいたのが
瓶入りチェリオというわけ。量があって安いもんね。
富士コカコーラボトラーズの飲み物は、ど田舎でもありました。
ペプシもミリンダもあった。でもチェリオはなかったね。
卒業後名古屋に行っても、僕の行動範囲にはなかった、と思う。
そしてその後松阪でも、東京に来てからも飲んだことがない。
つまりチェリオを飲んだのは、高校の3年間だけ。
まさに青春の味なのです。

──とまとめてしまったんだけど、これでいいのか?
なぜ旧浜松市以外で見なかったんだろう。見逃したのか、本当に行く先々になかったのか。
そもそもチェリオって全国区の飲み物なの?ホームページを見たら
ほとんど近畿・東海・沖縄販売だから、販売網の弱さはあると思うんだけど。
でもこんなに品数が増えてるのに、ずっと売り続けていたことを知らなかったとは。
十代と違って、ジュース自体興味ないと言えば興味ないんだけど、注意力不足なのかなぁ。
過去の記憶があいまいというのはすごくいやなんだよね、最近。
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by yattokamedagaya | 2008-11-15 17:47 | Memories(Sweet?) | Trackback(1) | Comments(12)
伝説の男
どんな世界にも「伝説の◯◯」と呼ばれる人物がいるものです。その定義はというと、
ある世界で偉業を成し遂げて、永遠に語り継がれて行く実在の人、ということでしょうか。
この場合の“伝説”というのは比喩のようなもので、それほどの人物という意味でしょう。

さて、何を隠そう、実は私のご先祖様にもひとり、伝説の男がいるのです。
ところが、何をやらかしたのかというと、これがどうも妖怪がらみのことらしい。
つまり日本昔話的な伝説なんだけど、登場人物は実在しているというややこしい話。
まあ聞いてください。それはこんな話です。

宝暦年間の初め頃、とある山里に続く谷間に、夜な夜な化け物が出るようになった。
それは真っ赤な着物を着た、頭が妙に大きい、女の姿をした化け物で、
噂が広がると村人は恐れ、日暮れから夜明けまで、誰もその谷は通らなくなった。
そんなある日、その村に住むひとりの侍がふもとの町まで出かけたが、
その日は思いの外帰りが遅くなり、件の谷にさしかかる頃にはすっかり日が暮れてしまった。
だが帰るにはそこを通るしかない。怯みはしたが、我も武士と勇気を振絞って歩き出す。
しばらく行くと突然、そんな男の前に噂の赤い着物の巨頭女が現れ、覆い被さってきた。
侍は「出たな化け物!」と刀を抜いて、女の首めがけて斬りつける。すると
「ぎゃぁ!」という悲鳴と共に女の倒れる音がしたが、怖くて後ろも見ずに逃げ帰った。
夜明けを待ってその谷に様子を見に戻ってみると、女も、流れたはずの血もそこにはなく
首を切られたお地蔵様が転がっていた。「さては、化け物の正体はこの地蔵か」と納得。
地蔵を元の場所に安置し、頭もその上に乗せておくと、それから化け物は出なくなった。


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簡単にまとめるとこんな話。そしてこの地蔵は実在します。
その場所に新しく道が通ることになっても、移動せずにそこに祀ってあるという
田舎ではよくある類いの“祟る”お地蔵様で、これはそれにまつわる伝説なんですが、
歴史上の人物ならこんな話のひとつやふたつはあるけれど、なぜ全く無名のうちの先祖が?
これも「ジョン・デンバー話」と同じで、私が田舎を出てから伝え聞いた伝説です。
子供の頃なら素直に聞いて、うちの近くにあるその地蔵を恐れたかもしれないけれど
もうひねくれた大人になってから聞いた話ですからねぇ。でも納得はできるんですよ。
それは伝説としてじゃなく、リアルな実話としてならですが。

つまりこれは、酒を飲み過ぎて酔っていたのか、噂を信じてビビリまくっていたから、
お地蔵様を化け物と間違って斬りつけてしまった、ととれなくもない話でしょう。
「幽霊の正体見たり枯尾花」ってやつですね。
化け物退治をして村を救った侍ということで、伝説としては立派なヒーローなんですが
馬鹿な臆病侍なだけかもしれない。まあ子孫がそんな罰当たりなことを言って、
ご先祖様の面目を潰すこともないんですけどね。ちょっとフクザツ……。
ともかくこれはマイナーな伝説ですが、地元ホームページにも収録されておりますです。
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by yattokamedagaya | 2008-10-23 18:33 | Memories(Sweet?) | Trackback | Comments(6)
曼珠沙華こわい
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時期を逃した今頃なんだけれども、今年は何としても彼岸花を撮りたかった。
でも、そう思って探してみても、うちの近所には咲いていないんだね、これが。
田舎では土手やあぜ道に群れて咲いていたから、どこにでもあるものだと思っていたけど
こんなコンクリートばかりの、しかも海に近いところではそうでもないらしい。

という前振りでこのタイトルの意味に戻るのだが、それはまんまその通り。
私はこの彼岸花が苦手なのだ。物心ついた頃からずっと。
嫌いというのとは少し違う。怖いというのが近いのかな、やっぱり。
これはたぶん田舎にいた頃、たぶん表面に出ている記憶には残らないくらい幼い頃に
たぶんばあさん辺りから変なことを吹き込まれていると思うのだ。
それが無意識下で私にプレッシャーをかけてくる「緋い記憶」なのだよ、たぶん。

まあ彼岸花、曼珠沙華というくらいだから、仏教的なイメージは湧いてくる。そして
生活の中の仏教といえば今の日本ではほぼ葬式に限定されるわね。これは死のイメージ。
あの形も曼荼羅っぽいし、ちょっと卑猥?そして真っ赤に燃える花と補色に近い緑の茎、
バックの草原の緑とのコントラスト。色彩的にも禍々しい。
そして葉がないというのも、不吉じゃないかい?触るとかぶれると教えられたしね。
──というのは後付けの理屈。本当の理由はわからない。
奇麗な花だとは思うし、これは世の彼岸花好きをどうこう言うわけじゃない。
私個人の感覚なんだからしょうがない。たぶん宗教的死のイメージなんだと思う。

だから今まで撮影ははもちろん、咲いているのを見ても意識的に避けていた。
でもブログをやっている限り、秋になるとそうもいかないだよね。
様々なブログで彼岸花は花盛りなんだから。でもね、ここ数年そんな写真を見ているうちに
ちょっと感じるものが違うことに気付いたわけだ。つまり、悪くないんじゃない、と。
それは切り取り方が奇麗だからなのか、単に実物とは違う“写真”だからなのか知らないが。
ひょっとして数年(数十年)避けているうちに、いつの間にか見る目も変わってきたのかな。
だからそれを試すためにも探していたんだけど、いかんせん近くでは見つからない。
そうこうしているうちに季節は過ぎて、昨日ようやく公園でみつけたのがこれ。
枯れた群生の中の、なんとか見られる最後の一本だった。
ちょいと禍々しいかな、心が現れているかな、生涯初の撮影、夕暮れの彼岸花。
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by yattokamedagaya | 2008-10-05 09:23 | Memories(Sweet?) | Trackback | Comments(14)
蕎麦好きになる理由
最近蕎麦ネタばかりなんだけど、これがとりあえず〆の蕎麦、かな。
最後は私が何で蕎麦好きになったのかという理由。一応理由はあるんです。
おふくろ、これ読んでねーだろうな……。

蕎麦なんてものは、私の故郷では物心付いた頃から食べている。
うちの田舎ではそばも栽培しているし、手打ちの蕎麦は誰でも打つんだから。
当然、大晦日の御馳走を〆るのも三立て(挽き立て、打ち立て、茹で立て)の年越し蕎麦。
「ゆく年来る年」を観ながら家族揃ってかけそばを食べることになるんだが
こいつがまた……すっげー不味いの。笑っちゃうくらい。
母の名誉のために言うけれど、母は料理が下手ではないんだよ。
ただ美味しい蕎麦の打ち方がよくわからないのだ。さらに名誉のためにもうひとつ。
その地域全体が最近まで、蕎麦とはそういうものだと勘違いしていたようだ。
さすがジョン・デンバーがお忍びで訪れるような、どカントリー。

そこの標準タイプの蕎麦は生粉打ちの田舎そば。そもそも素人にはそれが間違いなのだ。
つなぎを入れない十割蕎麦だから、素人が作るとどうしても必要以上に太くなる。
そして茹で時間も長い。これでは硬くなったそばがきに近いシロモノが出来てしまうのだ。
当然もりでは喰えないから、かけになる(うちでは基本的に麺はかけだが)。
これなら汁の美味しさでそこそこ喰える。だが、麺自体はどうにも美味くない。
私が未だに田舎そばが苦手なのは、ここに由来する。

こんな不味い蕎麦、と同類の蕎麦をその地域では店でも売っていたんだから恐れ入る。
私と同様に上京していた叔父も、「ありゃ売りもんじゃねぇ」といつもけなしていたもんだ。
これが私が蕎麦に目覚めるのが遅れた理由。つまり蕎麦とはあまり美味しくないものと
思い込んでいたのだ。その後浜松(旧浜松)、名古屋、三重松阪と移り住んだのだが、
その間なぜか蕎麦を食べた記憶がないし、食べようとも思わなかった。
だから東京に来て初めて食べた蕎麦は衝撃だった。その店は街のどこにでもある
メニューに親子丼もある蕎麦屋だったのに。嫌いなものが好きになると、それは加速する。
微妙に理由の違いこそあれ、東京に来て蕎麦好きになる人間は珍しくもないらしいが。

さてその不味い田舎の田舎そば。これが何と、いつのまにか技術が向上したのか、
どこかで修行したのか、はたまた徹底的なリサーチを繰り返したのか。
今では県で表彰されるほどの美味しい蕎麦が打てるようになっていて、蕎麦打ち道場
なるものも開催しているらしい。変われば変わるもの、いやいやそうじゃなきゃいかん。
向上心こそ旧きジャパニーズの真骨頂。故郷は皮肉るよりも誇りに思っていたいもの。
私も一度味わいに行ってみたいものだ。「マイタケ蕎麦」が絶品らしい。


※追記:食べてきました「マイタケ蕎麦」。これがそう、記事はこちら
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by yattokamedagaya | 2008-09-28 23:52 | Memories(Sweet?) | Trackback | Comments(2)
飲酒運転現行犯
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飲酒運転と言ってもこれは自転車の話、クルマじゃない。でもルールはさほど違わないはず。
今は自動車運転の罪が業務上から分離されて重くなっているから、自転車も当然そうだろう。
特に最近は利用者が多いから。飲酒運転の罰則は、今どうなっているんだろう。
免停はありえないけど罰金はあるのかな。お目こぼしは、もうあまりしてくれないかも。
先日、久々に表参道で飲んだらこんなことを思い出した。だから私は飲酒運転はしないのだ。

まだバブルの頃。私は業界他社の仲間と原宿の『とんちゃん』によく集まって飲んでいた。
ここはとんちゃん通りの名称由来のお店。よく知られた居酒屋だったが今はもうない。
集合場所にしたのは場所的に都合が良いからだが、白金に越した私はそうでもなくなった。
この辺りの公共交通は、都心でも南北のつながりが悪いのだ。当時は今よりも。
そこで自転車の登場、ということになる。白金から原宿。今ならほとんど直線で行ける
ということを知っているのだが、まだ引っ越したばかりで道がよくわからないから、
カーナビでもこうするだろうという広い道ばかりを辿って店に着く。

3時間ばかり飲んで会はお開き。次の店に行く者、駅に向かう者と二手に別れ
私はラフォーレ前まで自転車を押して同行し、仲間と別れ、サドルにまたがり帰路につく。
まずはそこから表参道の交差点までまっすぐ、距離約700m、時間で数分。ところが
たいして酔ってもいないはずだったが、そのわずかなサイクリングで泥酔してしまったのだ。
さすが、バイクは効果的な有酸素運動。アルコールが血中を駆け巡る。
交差点にたどり着いたと思った瞬間、私は転倒。そしてそのままの姿でへらへら笑ってた。
酔っていても覚えていることはあるものだ。通行人が気味悪そうに見ているのはわかるけど
もう起きるのが面倒くさかった。するとそこにやってきたのが、おまわりさん。
表参道の交差点だもんね。そこにある交番の前なんだから、出てこない方がおかしい。

こんな迷惑な飲酒運転現行犯。なのに、べつに咎めるでもなく優しい取り調べ(?)。
何を話したかは忘れたが、一応辻褄が合った応えをしたんだろう、すぐに解放。
「危険だから自転車は押して帰ってくださいね」。そう言われたのでその通りにした。
だが歩くには我が家は遠いので、ここはショートカットを試みた。
だいたいの地形は把握している(と思った)から、青山墓地を突っ切れば早いはず。
桜もちらほら咲いているかも。これは良い考えだと思ったんだけどね、ちょっと勘違い。
本当は、少しもショートカットじゃなかったのだ。

でも、青山墓地を突っ切るには突っ切った。ところがその突っ切り方にも問題があったようで
今度はいくら歩いても西麻布交差点にたどり着けない。歩き続けて約1時間。
もう疲れ果てて、道路の端に座り込んでしまった。気持ちも悪い。
そこにやってきたのが、またまたパトロールのおまわりさん。それもなんとあの表参道の。
──そんな偶然があるかな?後で考えるとそう。でも酔いのせいとも思えない。
そして同じように親切・丁寧な対応。でも私は気持ちが悪いのでろくにお構いできないのだ。
道を訊けば良かったが、多少の見栄があったのかそれもできなかった。

彼らが去ってもまだ数分その場にへたり込んだ後、なんとか起き上がり歩き出すが
これではらちが明かないと自転車に乗る。もう気持ち悪くはないがそれでまた酔いが……。
そんな状態で数十分間、どこをどう走ったのか……大きな交差点の信号でストップした。
ふと横を見ると交番がある。それも見慣れた交番が。うそ……。
あちゃ〜振り出しに戻るかよ。ここは表参道交差点。青山通りを戻っていたのだ。

交番を覗き込むと、いたいたあのおまわりさん。
さすがに今度は呆れたようで、「何やってんですか?」と表に出てくる。
「迷子なんだよな〜オレ」。もう見栄なんてないッス。帰り道を教えてもらって無事帰る。
こんなアホな早春の長い一夜を過ごしたわけだけど、この時結局何のお咎めもなし。
今でもこんな調子なんだろか。間違いなく、もっと高飛車だとは思うけど。

画像は Google Map のストリートビューから。右側の建物がその交番。
今はこんな便利なものもあるから迷わない。さすが21世紀。当時では想像もできなかった。
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by yattokamedagaya | 2008-09-03 19:44 | Memories(Sweet?) | Trackback(1) | Comments(2)
年賀状管理人
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キャンディーズ解散コンサートのその当日。奥田英朗氏の小説『東京物語』では、
己の分身でもある主人公が、名古屋から東京に引っ越しをしたんですが、
僕は僕で、名古屋市内で人生3度目の引っ越しをしていたんですね。
場所は熱田区六番町。と言っても、これじゃ名古屋の人にしかわからんでかんわ。
そこは六畳一間・流し付き・トイレ共同・当然風呂なし。
それでも借景がステキな南向き2階の角部屋、賃料1万円の木造アパートでした。
これはそのボロアパートでの思い出です。
毎年、そろそろ年賀状のことも考えなければというこの時期に、いつも思い出す
こんな間抜けなお話があるんです。

始まりは、そこに越してきて2年目になる、新年4日の夜のことでした。
今でもそうなんですが、僕は年末から正月三が日の間は
住民票に記載されている住所にいることがほとんどないんですね。
その理由はスキーや帰省や旅行など様々。とにかくいないことが多いんです。
その年もたぶんスキーに行っていたんでしょう。そして帰ってきた僕は、
誰でもするように郵便受けを覗きます。特に新年は年賀状が楽しみだから。
ところがところがその年は、たった数枚しか入っていなかったんです。

おかしいなと思いながらも、その理由はすぐに色々見つかります。
前年まで毎年引っ越していたから、住所間違いの可能性があるんです。
旧住所に行っているかもしれない(その頃、転送システムはあったんだろうか?)。
念のため届いた僕の年賀状を見て、住所を確認してから送るつもりかもしれない。
それにその頃は、実家の方に送る人もまだいたんです。
今でもよく聞く郵便配達アルバイトの横着や、盗難ということも考えたけれど
そんなことにいつまでも悩んでいるほど暇じゃない。確かめることも忘れていた頃、
1月15日の成人の日になっていたんですね(次の日だったかもしれない)。

その日帰宅すると、郵便受け前でゴソゴソと何かやっているおばちゃんがいたんです。
郵便受けは屋内にあって写真と同程度のボロ。全居住者のものが集まる形態なんだけど
金属ではなく木製の、ちょうど昔の銭湯や靴を脱ぐ居酒屋の下駄箱のような形で鍵もない。
この人はその正面の部屋の住人(後でわかった)なんですね。

ちょっと不審。でもまあ取り立ててどうこうするほどのことじゃない。
僕は自分宛の郵便物を取り出そうとしました。
ところがそれを見ていたおばちゃんが声をかけてくるんですよ、「あなた◯◯さん?」。
そうだと答えると「ちょうど良かった。あなたの郵便物を預かっていたんですよ」。
そう言って年賀状の束を渡すんです。「いつも留守にしているから不用心だと思って
私が保管していたんですよ。ほら年賀状泥棒も多いでしょう」。
こんな意味のことを名古屋弁で早口にまくしたてる。そして目が点になっている僕に
「じゃあ確かに渡しましたよ」と言ってさっさと部屋に引き上げてしまったんですね。

あのさ、それで上手く誤魔化したつもり?

「“15日まで”保管してくれてありがとう」くらいは言っておいた方がよかったかな?
これはつまり僕の年賀状を盗んで、そのお年玉付き年賀はがきの抽選結果を確認した後に、
そっと郵便受けに戻しておこうとしたところを運悪く僕に見つかったと思ったから、
とっさに苦しい言い訳をしたということでしょう。それ以外考えられないですよね。
本当に善意で保管したなんて誰が思うかい!頼んでもいないのに。
でも普通の泥棒だったら、外れたはがきは戻さずにそのまま捨ててしまうはずだから
多少の良心は残っていたと見るべきか……でもねぇ。
この小悪党ぶりが、可愛いというか惨めというか……。
まあ帰ってきたから良しとする。面倒ということもあって、これはこのままお咎めなし。
その後この人には会ってません。そして、さすがにこの辺りは環境がよろしくないと思い、
契約更新になるその年の春に瑞穂区の方に引っ越してしまったので、
残念ながら次の年の、おばちゃんの善人ぶりを確認することはできなかったんですが。
あれで懲りたのかなぁ、上手く誤魔化せたと思ってまだやってるのかなぁ。
今見つかったら、あの頃より厄介なことになるはずなんだけどなぁ。
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by yattokamedagaya | 2007-11-30 19:34 | Memories(Sweet?) | Trackback(3) | Comments(10)
いなかみち
b0066893_0115164.jpg突然ですが、ジョン・デンバーさんを知っていますか?私は、このジャケットのような全盛期の金髪に丸眼鏡の(お兄ちゃん的な)顔と、ヒット曲「太陽を背に受けて」「緑の風のアニー」やその他数曲(「故郷へ帰りたい」だけは授業で覚えたので、歌詞を見なくてもフルコーラス歌えますが)。そして9年前(もうそんなに?)飛行機事故で他界したということ。この程度なら知っていました。特にファンではないという日本人なら、こんなものじゃないでしょうか。

そんなミスター・デンバーが、昔、お忍びで私の故郷を訪ねていたんです。

都会なら、ミュージシャンが公演の合間にどこかに出没したという話はよく聞きますが、ここはど田舎。東京からは少なくとも車で5時間以上の距離にある、山間の過疎地なんですよ。それにたぶんこれは20年〜30年も前のこと(この話を聞いたのも10年以上前)。何のためにこんな所まで?──ウソっぽい与太話だけど、聞いてください。それはこんな話です……。

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by yattokamedagaya | 2006-12-16 00:36 | Memories(Sweet?) | Trackback(4) | Comments(4)